ゴルフ蘭子のありえんよさみが深い雑記

アイマスの話以外もするからな

2018年の抱負

おう、ゴルフ蘭子だ。

 

以前は研究室の話でめちゃくちゃ荒れていた。だが、長年(3か月)の自己分析の結果、次のようなことが分かった。

 

「研究室が辛いのは、会社組織の縮図だからである」

 

これに尽きると思う。

私は今まで、組織に属したことでうまくやったためしがない。

学校のクラスという組織、部活という組織、チャットルームの幹部にもなったが、だいたいうまくいかなかった。

当然、研究室も同様で、教授がいて、先輩がいて、同期がいる。

その組織に属した上で、コミュニケーションをとらなければならない。

一つも興味のない研究に明け暮れ、たいして仲良くもない研究室の同期と当たり障りのない会話を取り交わす。与えられた研究室内の役職のために自分の時間を犠牲にして先輩や教授のアポや相談をする。メール一つですら適当では許されず、そこには「暗黙のルール」が存在する。当然、飲み会や旅行も発生する。

研究室の人らは、仲がいいのでたのしみにしていると思うが、私は微妙だ。たいして仲良くもないメンバーで行う飲み会や旅行はそれこそ苦痛だ。つねに言葉遣いに気を使い、食事一つとっても周りの様子をうかがって取らなければならない。食事をする以前に気疲れしてしまう。

結局、酒を飲みながらそもそも数千円~数万を支払って旅行や飲み会をこなすことに意味があるのだろうか?これが本当にしたかったことなのか?を自問自答し続けながら自分の世界に入り込むしかないのである。

研究室ですらこのありさまなので、私は会社に入っても同じことになると思う。

内定が出た会社は、まあ普通の年功序列型の企業なので、飲み会や旅行、上下関係、暗黙の了解が必ず付きまとってくる。

偽りにまみれたコミニティフィールドに耐えられるのか?

自分の本心と現実との矛盾を抱えたまま、表面だけで人付き合いをする。これが40年続くと考えるとぞっとする。

意識高いので好きなことして生きていく。

いや、イキリオタクではない。このままでは生を感じられないのだ。

最近唯一生きていると感じられる瞬間は麻雀とパチスロをしているときである。

麻雀は、頭の中で牌のありかを探り、自分の手役の最終系を思い描き聴牌に持っていくゲームである。そして、相手をだますためのリーチ牌を用意して、相手が振り込んだ瞬間、私の喜びはピークに達する。そこには表面的なコミュニケーションや暗黙の了解などない。自分勝手さと論理と心理戦の世界。これほど楽しいものはない。

パチスロは、台の中から出そうなものを選ぶギャンブルである。たとえば、10台あったとして、1台高設定台があったとしたらその日勝てる確率は1/10。ところが、その日の回転数や当たった数から期待値を割り出すことができるため、知識で勝てる確率を上げていくことができる。理論通りになったときはそれはもう大変な喜びが付きまとう。最近は会社に就職しなくてもいいほどお金が欲しくてたまらないのですべてに本気だ。パチンコ屋にはプータローのようなひとがたくさん来るのだが、実際彼らの中で私ほど本気でギャンブルをやっている人がいるかと問われたらほぼいないので、さらに勝ちやすいのである。しかも打つ台を一台に絞っている。

これがもし、宝くじのような判別要素、技術介入のない運否天賦のみのゲームなら私ははまりすらしない。宝くじこそ判別要素のないギャンブルで、宝くじ関係者が身内にいないのに買う人は馬鹿だと思う。

ここまで熱く語ってしまうとクズの代表格だなと言われるかもしれない。

しかし、現にパチスロライターやプロ麻雀など、そういった「(世間的には)クズの娯楽」を仕事に変えている人がいることは言うまでもない。私は頭を下げながら真面目に働いて金を得ている人も、パチンコや麻雀を動画にして広告収入を得ている人も、銭は銭だと考えている。悪銭も良銭もない。また実際に麻雀やパチンコを題材にした漫画はたくさんあるしね笑

スロットで勝った翌日、続けているバイトをやるとあほらしくなってしまう。安定はしているけど、お局ばばあの妬み嫉みを聞きながらお金をもらうのは気分が悪い。

正社員であれ、バイトであれ、「雇われる=人生を人質にとられる」

と同義なので、その意識だけは絶対に忘れてはならないと思う。人間、守るものを持ったら脆い。ミナミの帝王でよく出てくるセリフです。

私は好きなことには本気になれるので、遊びをアウトプットして仕事として稼げる人間になることを目指すと心に決めた。そして、雇われ労働を一刻も早く脱せられるほどの確実な仕事にすると決めた。これが抱負である。